『道具のブツリ』ができるまで
『現代の道具のブツリ』刊行記念トーク
『現代の道具のブツリ』の刊行と、大塚文香の展覧会「偏愛と享受の周囲」にあわせて、2026年9月14日にdessinでトークイベントを開催しました。
身のまわりにある道具を、物理の視点から見つめ直す『道具のブツリ』と、その続編となる『現代の道具のブツリ』。著者は田中幸さん、結城千代子さん、イラストは大塚文香さん、デザインは宮古美智代さん。企画・編集を雷鳥社の平野さりあさんが手がけています。
そもそも「道具のブツリ」という企画は、どのようにして生まれたのでしょうか。
企画・編集を手がけた平野さんと、2冊のイラストを担当した大塚さんに、企画のはじまりから、目に見えない物理現象を絵にすること、文章と絵の関係、本のかたち、そして書籍のために描かれた絵が展示作品へと展開していくまでを伺いました。
当日のトークから抜粋・再構成してお届けします。
登壇者
大塚文香(中央)
イラストレーター。1989年滋賀県生まれ。書籍などのイラストレーションを中心に活動する。2020年HB Gallery File Competition vol.30 永井裕明賞。『道具のブツリ』『現代の道具のブツリ』(ともに雷鳥社)のイラストを担当。
平野さりあ(左)
雷鳥社編集者。1994年愛知県生まれ。担当書籍は『石の辞典』『数の辞典』『翻訳目錄』『道具のブツリ』『サワ⭐︎博士の数楽たいそう』ほか。
大和田悠樹(右)
Totodoとdessinの代表。本トークでは聞き手を務めた。
「道具のブツリ」という言葉から始まった
平野:
本を作るときのやり方は、大きく二種類あります。著者からいただいた企画や原稿をもとに「どんな本にしようか」と考えていく方法と、こちらで企画を立て、著者やイラストレーターに声をかけて一緒に作っていく方法です。
『道具のブツリ』は完全に後者で、自分の欲望のままに作ったところがあります。
きっかけは、以前作った本の中で「逆開きする傘」の存在を知ったことでした。濡れた面が内側にしまい込まれる、とても便利な傘です。
こんなに便利なのに、なぜ多くの人は昔ながらの傘を使っているんだろう。考えてみると、傘は江戸時代から基本的な形があまり変わっていません。
新しいデザインやアイデアで物はいくらでも作られるけれど、ずっと形が変わらないものには、もっと大きな普遍的な法則があるのではないか。スプーンやフォークの形が変わらないのも、そういう理由なのではないか。
そう考えていたときに、「物理なんじゃないか」と思ったんです。
そこから「道具のブツリ」という言葉が先に浮かびました。その言葉をどうやって一冊の本にするか。そこからいろいろな方に声をかけて、制作が始まりました。
なぜ大塚文香だったのか
大和田:
大塚さんは最初にこの企画を聞いたとき、どう思いましたか。
大塚:
私は物理にほとんど馴染みがなく、高校でも物理を選択していなかったので、どういう本になるのか全然想像がついていませんでした。
ただ、今回は文章と絵の共著という形で、「本の著者になる」という経験は最初で最後かもしれないなと思って(笑)。それなら一回やってみようかな、という、わりと軽い感じでお受けしました。
大和田:
平野さんは、なぜ大塚さんに声をかけたんですか。
平野:
『道具のブツリ』なので、まず道具を魅力的に描ける方がいいと思って、かなり探しました。
大塚さんは道具の絵をいろいろ描かれていて、まず直感的に絵が好きでした。
それに、大塚さんの絵では赤と青が干渉して黒っぽく見えたりする。その感じが、光学というか、物理的な現象のようにも見えたんです。
レーザープリンターを使って版を重ねながら制作されていることも面白かった。すべてをフリーハンドで描くのではなく、制作の一部を機械に託している。レーザープリンターという「道具」と一緒に絵を作っているように感じました。
そういうところまで含めて、かなり早い段階で「大塚さんしかいない」と思っていました。
「ぐにゃぐにゃした物理学」
大和田:
大塚さんは、光や波など、目に見えないものをどう描いていったんですか。
大塚:
伝わらないといけないので、できるだけ皆さんが共有している表現を使うようにしました。
何かが揺れているなら、誰でも「揺れている」と分かる線を入れる。雷なら、これを描けば雷だと分かる。砂なら、さらさらと流れている感じ。
そういう、皆さんが共有しているであろう表現をなるべく使いました。
実物もできるだけ見るようにしていました。ハサミひとつとっても、頭の中で思い浮かべているハサミと実物は全然違うんです。刃がどう付いているのか、持ち手がどうなっているのか。家にないものは写真を検索して、構造を確認しながら描いていました。
平野:
物理学の棚も見に行ったんですけど、物理の本って、すごくカチッとしているんですよね。公式もそうですし、挿絵も製図のように正確です。
でも今回、田中さん、結城さんが書かれた文章には、想像する余地がかなりある。
だから、少しくらい「ぐにゃぐにゃした物理学」があってもいいんじゃないかと思いました。
内容はしっかり物理学でありながら、普段なら物理の棚に行かない人が、別のルートから物理に出会える本を作りたかったんです。
その点でも、大塚さんの線はすごく合っていました。金属のような硬い道具を描いても、少しラフな線が残っている。その「どんな形にもなり得そうな感じ」が、この本には合っていたと思います。
説明する絵と、絵そのものの魅力
大和田:
説明的な絵と、大塚さんらしい絵。そのバランスはどう考えましたか。
大塚:
説明しないといけないので、伝わるギリギリのところを保ちながら、なるべく普段の自分の絵と変わらないようにしました。
線も、定規で引いたまっすぐな線ではなくてフリーハンド。でも、ちゃんとまっすぐに見える。そのギリギリを狙っています。
平野:
物理の本なので、説明のための図は必要です。
一方で、大塚さんにお願いしている以上、大塚さんの絵そのものも楽しんでもらいたい。
だから、小さな説明図と、絵をしっかり見せるページをどう配置するか、原稿と突き合わせながら考えました。
イラストは田中さん、結城さんにも確認していただいて、物理学的に間違いがないかはチェックしています。ただ、絵としての表現については、ほとんど修正していません。
大塚:
金属原子(『道具のブツリ』P104)のページは覚えています。
最初、プラスとマイナスを同じくらいの大きさで描いていたんです。でも「物理的には、マイナスはもっと小さいです」と言われて、「そうなんだ!」と思って(笑)、直しました。
そういう物理的な修正は少しありました。
目に見えないものを描く
平野:
大塚さんにお願いした理由のひとつに、テクスチャーの面白さがあります。
シミやズレ、素材がもともと持っている質感が入ることで、「描いていないものまで描かれている」と感じるんです。
この本は、原子や分子、電気の流れ、電磁波など、目に見えないものを想像していく本でもあります。だから、大塚さんの表現がすごく合っていました。
特に印象的なのが、ライブ会場の絵(『現代の道具のブツリ』P92-93)です。
ライブに行くと、音が身体に当たって、音の振動となって身体が揺れる瞬間がありますよね。「音だったものが振動となって身体を揺らす」という、目に見えないものが身体に作用する空間を描いてほしいとお願いしました。
大塚:
とにかく盛り上がっている感じを出そうと思いました(笑)。いろいろなテクスチャーをたくさん使っています。
平野:
光も飛んでいるし、音も振動している。人を描くというより、その空間を飛び交っているものを描いているように感じました。
ノアの方舟から生まれた一枚
大和田:
ほかに印象に残っている絵はありますか。
平野:
ノアの方舟の絵(『現代の道具のブツリ』P186-187)ですね。
「ノアの方舟」と聞くと、動物たちや人を描くことが多いと思うんです。でも、大塚さんの絵には人も動物も出てこない。
説明がなければノアの方舟だと分からないくらいで、その引き算がすごく衝撃的でした。
大塚:
これは今だから言えますけど(笑)、動物と人を描き始めたら、すごく時間がかかると思ったんです。
ノアの方舟だから、動物を描くなら二匹ずつ描かなきゃいけないじゃないですか。「それ、めちゃくちゃ時間かかるな」と(笑)。
章ごとに締め切りがあって同時進行していたので、なるべく早く描ける方法を考えました。
でも結果的に、この章は雨の話でもあったので、雨が降っている場面とうまくつながりました。
本の形も「道具」として考える
大和田:
平野さんは、企画の段階から本の形まで想像しているんですか。
平野:
最初に自分用の簡単なプロトタイプを作っています。
当初は普通の判型で、縦書きでした。でも物理の本なので、単位の名前などがたくさん出てくる。縦書きにするとすごく複雑に見えてしまって、「これは読みにくいな」と横書きにしました。
そこからデザイナーの宮古さんと相談しながら、サイズや構成を詰めていきました。
原稿を書いて、絵を描いて、最後に別々のものを合わせるというより、絵が文章に影響を与え、文章が絵に影響を与えながら本が出来上がっていくのが好きなんです。
今回も、絵だけのページでは大塚さんの絵が前に出て、文章を読むページでは文章が前に出る。JAZZのように主役が入れ替わるような本にしたかった。
この本は開くと正方形になります。パタンと180度開くので、読者の方から本をそのものが道具として見えてくる、という感想を頂いた時は嬉しかったです。
本の中の絵から、展示作品へ
大和田:
今回展示している作品は、本のために描いた絵をそのまま展示しているわけではないんですよね。
大塚:
本の中の絵は、文字が入って初めて成立している部分があると思うんです。
挿絵だけをそのまま一枚の作品として出すと、少し弱いように感じる。
なので展示するときは、一つの作品として成立するように、もう一度構成し直しています。一枚で飾ったときにきちんと見えることを意識しました。
大和田:
展示タイトルの「偏愛と享受の周囲」は、どうやって決めたんですか。
大塚:
『現代の道具のブツリ』と関連するタイトルにしたいと思っていました。
本が出たときに、著者のお二人がSNSで「私たちの推し活は物理です」みたいな言葉を使っていたんです。
それで「推し活」を別の言葉に置き換えてみようと思って。
『現代の道具のブツリ』と今回の展示タイトルの響きも少し近づけたくて、言葉を探して組み合わせました。
道具を見る目が変わる
大和田:
本を読むと、それまでとは物の見え方が少し変わることがあります。
作った側のお二人にも、何か変化はありましたか。
大塚:
あります。
本の中に、丸い器と四角い升では液体の流れ方が違うという話が出てくるんです。
そういうものを読むと、「なるほど」と思って、日常の中でも気づくようになる。そういうことが、この本には結構あります。
平野:
私は最初、「道具の本を作る」と思っていたんです。
でも作り終わったあとは、道具って、道具そのものだけではないんだなと思うようになりました。
たとえば吸盤は、大気圧によって壁に押しつけられることでくっついています。だから大気圧がない場所に持っていったら、吸盤は道具として機能しなくなる。
つまり、道具が道具であるためには、地球という環境そのものが必要なんだなあと。
水や空気の分子をどう操るかまで含めて「道具」なんだ、と考えるようになりました。
物理は、すでに日常の中にある
大和田:
読者に、どんなところを面白がってもらえたらうれしいですか。
平野:
どこから入ってもらってもいいと思っています。
本の中で著者が述べられていることですが、たとえば、濡れた傘をトントンと振ると、水が落ちますよね。
あれも、私たちは知らず知らずのうちに慣性の法則を使って水を切っている。
洗濯機の脱水もそうですし、濡れた犬が頭を振って水を飛ばすのも同じです。
全部、一つの物理法則でつながっている。
物理の教科書に書かれている公式としてではなく、「あ、それ普段やってる」と思うような行動の奥に、共通する法則がある。
そこにワクワクしてもらえたらうれしいですね。
本当にこれは「偏愛」です(笑)。
大和田:
今日はありがとうございました。
大塚・平野:
ありがとうございました。